城崎太一は電話で伝えていた時間より30分遅れてラーメン店に到着した。 ここは、熊本市の繁華街、上通アーケード街にある、創業40年のラーメン店だ。熊本では珍しく、鶏がらスープのラーメンだ。 店内は清潔感にあふれ、壁は上質な木材で造られている。 …
奈津美は、机の引き出しを開け、そこから明治アーモンドチョコレートの箱を取り出した。そして、箱の中から一粒つまみ、それを口に放り込んだ。次にラヂオをつけた。机の上に載った、コンパクトタイプのCDラジカセ。民放のFM,エフエム熊本を聴く。これ…
国道57号線の南側には新興住宅地が広がる。この10年ほどのあいだに、それまであった田畑はつぶされ、宅地になり、次々に戸建ての住宅が建った。 藤倉奈津美の家はこの住宅街の一角にある。2階建て、白色の外壁、小さな庭。小ぢんまりとした造りの建物は…
朝7時から朝11時までの工場の仕事を終えると桐原は、いつものように、帰り道にある国道3号線沿いのローソンに寄る。そしてそこで、いつものように、昼食のソーセージパンと缶コーヒーを買い、敷地内の駐車場に停めた自分の車の中でそれらを飲食する。車…
桐原がパート勤務している会社は、熊本市の隣町、大津町にある。発電機を製造し、国内はもとより、ベトナムやシンガポール・タイにも輸出販売している、地場の優良企業だ。 敷地内には、平屋建ての、サッカーコート2つ分ほどの大きさの工場があり、それに隣…
奈津美は、机の上の紙屑を無視して、再び、秋の空に目をやった。 そこへ、英語の教師が、 「おーい藤倉、聞いてるか? どこ見てる? ミサイルでも飛んでくるかー?」 と言った。 クラスの生徒は、そのくだらないジョークに、一斉に、必要以上に笑った。 奈津…
教室は3階にある。1限目の英語の授業。校庭を見下ろす窓際の列の、一番後ろの席に座る藤倉奈津美は、開け放たれた窓の外をぼーっと見ていた。担当の教師は、けして流調とは言えない発音で、テキストの英文を淡々と読み上げている。 奈津美は、この1限目が…
朝7時30分。中学3年生の藤倉奈津美は、学校に向かう途中にある、国道57号線沿いのコンビニに寄り、そこで、125ミリリットルの紙パックの牛乳を買う。自分の朝食のため、ではなく、猫の朝食のためだ。 コンビニの隣に、閉店して、何もかもがそのまま…
桐原は、午後1時から午後5時まで小説を書いたあと、夕食の準備にとりかかる。 自炊は、この6カ月のあいだでだいぶ慣れた。面倒なことはしない。至って簡単、手抜き料理だ。 きょうは、卵と豆腐ともやしの炒め物だ。 まず、卵2個をオリーブ油をひいたフラ…
桐原はこれまで、証券会社勤務時代に2回、書き終えた自作の小説を、文芸誌のコンテストに応募したことがある。しかし、いずれも、第一次審査にも引っかからず、砕け散った。今回、自身3作目を書いている。 桐原には、別居中の妻と小学一年生の娘がいる。6…
桐原健介の住むアパートは、木造2階建て、1階と2階にそれぞれ、バストイレ付きの1DKが3部屋ずつある。桐原の部屋は、1階の真ん中の部屋だ。 アパートは、国道57号線から、南に3キロメートル程入ったところの住宅地の中にある。アパートから、桐原の勤…
桐原が勤務する工場では、海外向けに出荷する“発電機”を製造している。製造方法は、ライン製造と呼ばれるもので、長さ約50メートルの直線のレーンをあいだに挟み、合計約100名の工員が1メートル置きに向かい合わせになるかたちで並び、約50の工程に…
男は、午前中だけの工場でのパート勤務を終えると、きまって国道57号線沿いにあるコンビニに立ち寄り、そこで、きまって、ソーセージパンと温かい缶コーヒーを買う。 「パン、温めますか」 若い女性の店員がたずねた。 「はい」 男が答える。 男の名前は、…
「行ってみっか」鬼木が言った。 3人は、すっと、腰を上げ、コンクリートの階段を上がり、駐車場に出た。駐車場には、駐車場の敷地内にあるドライブインの従業員、あるいは、近所の民家の住人など、すでに何人かの人がいた。そして、線路の上、列車の先頭車…
午前10時。 良雄と鬼木、そして、尾崎は、国道3号線沿いにある海水浴場にいた。 国道に面した海水浴場客のための広い駐車場から、3つの段のついたコンクリートの階段を降りて、浜辺につく。3人は、今、そのコンクリートの階段の2段目に並んで座ってい…
この街の駅は、街の中心部アーケード街から、北へ約3キロメートル上った、国道沿いから少し東へ入ったところにある。駅舎の手前には、小さなロータリーがあり、中心には噴水と池が設置されている。駅舎は、古く、そして狭い。入って、左手に切符売り場があ…
それから3週間後。 夜8時。良雄は、自分の部屋にいた。 勉強机に向かい、椅子に座り、もはや癖となってしまっていた、指の間で回す “シャープペン回し” を、黙々とやっていた。 部屋は、弟の洋介との相部屋だが、今、洋介はいない。 毎年恒例、小中高生が…
開け放たれた教室の窓から、西日が差し込む。と同時に、ゆっくりと、夕方にふさわしい少しだけ涼しい風が流れてきた。 3階にある教室の窓からは、グラウンドを見下ろすことができる。 グラウンドでは、サッカー部と野球部がまだ練習をしていた。 大きな掛け…
西郷がゆっくり立ち上がる。 「こッの野郎、やっぱり来やがったな!」 そう言って、右拳を振り上げる。 そこへ、尾崎と西郷らがいる場所の、すぐそばの玄関入り口で成り行きを見ていた鬼木が、尾崎と西郷のところへ走る。 鬼木は、尾崎と西郷のあいだに入る…
体育館の中には、生徒だけだ。顧問は、大体いつもいない。体育館のフロアの、入り口側の一辺に、横一列に、この街の工業高校の男子生徒が並んだ。みんな、学制服だ。白の開襟シャツを着て、黒のズボンをはいている。 ちょうど真ん中に、パンチパーマをかけた…
右の眉毛の上に絆創膏を貼った西郷寛太。おととい、海江田和代に声をかけた際、転んで擦り傷を負った箇所だ。その西郷を筆頭に、いつも一緒にいる、馬面の男と小柄な男。そして今日は、その後ろに、西郷と同じくらい背の高い、ガッシリとした体格の男が4人…
今日は、三者面談の日だ。良雄と鬼木は、すでにそれを終え、晴れ渡る空の下、体育館の前にある木のベンチに座っていた。 体育館の中では、部活動が行われている。入口から見て、手前半分を女子バスケ部が、奥半分を女子バレー部が使っていた。男子バスケ部と…
良雄はこれまでの人生で1度も女の子に告白したことがなかった。ましてや言い寄られたこともない。だから、彼女いない歴18年だ。 網戸越しに、海からの風が入って来る。夜は扇風機もいらない。良雄は自分の部屋で、横にしたボールペンを上唇と鼻の間に挟み…
ちょうどその時、2階から鬼木和彦が下りて来た。鬼木は大学へは進学せず、地元が昨年,工場誘致したNECに就職する予定だ。そして、働きながらプロのボクサーを目指す。だから、夏休みに行われている課外授業には出席しない。朝の新聞配達を終え、2階に…
お好み焼き屋の中は、ちょうど昼時、満席だった。商店街の近くには市役所があり、公務員の客も多い。店内は、入って左側に、8人が座れるL字型のカウンターがあり、右側に、カウンターと平行して、4人掛けのテーブル席が3つ並んでいる。良雄たちは、入り…
この街の商店街は、東シナ海を横目に、南北に伸びる片側2車線の国道3号線を挟んで、西と東に軒を連ねている。古くなって錆びれたアーケードの中、同じく古びたふうの店が、並んでいる。唯一、新しいと言えば、昨年の年末オープンした24時間営業のほっか…
教室に入ると、”何やらいつもの雰囲気と違う”、そう良雄は感じた。 良雄の席のすぐ前は、和代の席だ。そこに、人だかりができている。良雄のクラスは文系だ。クラス人数34人の内、21人が女子だ。その21人がすべて集まっているようだった。その中の1人…
商店街の右側を歩いていた尾崎は、理髪店の前を通り過ぎると、右に曲がった。細い路地。数メートル行くと、右手に、尾崎の祖母絹子が経営するたばこ屋がある。たばこを販売する店舗の部分はシャッターが下りている。その左横、左右に開く引き戸のすりガラス…
真夜中。誰もいない商店街を、尾崎健吾は一人歩いていた。スクーターはガス欠。仕様がないので、歩くしかなかった。 尾崎健吾の母千佳子は、18歳の冬、健吾を産んだ。相手は、2つ年上の市役所公務員。2人が付き合い始めたとき、千佳子は高校1年生で、そ…
午前2時前。尾崎健吾は、自宅の広いリビングの片隅で、あぐらをかき、テレビに向かってゲームをやっていた。“ドンキーコング”。せつないゲーム音が静かなリビングに響く。赤い襟付きのシャツにブルージーンズ。尾崎健吾は、今朝と同じ服装だった。 そのリビ…