それから2年間、全戦全敗。鬼木吾郎はプロになって1度も勝つことはなかった。それどころか、1発のパンチさえ繰り出すことはなかった。
プロとしての最後の試合を終え、引退した鬼木吾郎は、故郷のこの街に戻った。24歳の春だった。吾郎は、地元の運送会社で運転手として働いた。
その年の暮れ、12月のある日。お好み焼き屋を営む両親と中古車販売会社に勤める1つ違いの姉と暮らしていた実家に、1通の手紙が届いた。プロ初戦の前日、吾郎が助けた女性からだった。女性の名前は柏木智子。のちに鬼木智子となる吾郎の妻だ。
智子は、当時、東京で大手証券会社に勤めていた。助けてもらった日の翌日から、智子は、吾郎の試合に、毎回足を運んだ。そして智子は、幾度となく、吾郎を食事に誘った。が、吾郎は、かたくなにそれを断った。何も告げず、東京を去った吾郎の消息を、智子は、吾郎が所属していたボクシング事務所に尋ねるなどして調べ、手紙を書いた。
手紙の内容は、“あの時のお礼を、面と向かってしっかりと言いたい。”ということと、“自分も東京を出て、一緒に鹿児島で暮らしたい。”ということだった。
吾郎は、がらにもなく、と自分で思ったが、その月のクリスマスイブに、智子と鹿児島のこの街で会った。そしてそこで、吾郎は、智子に結婚を申し込んだ。
息子の質問に答えなかった運転席の吾郎は、その代わりに、
「なあ和彦、ラーメンでも食って行っか」と言った。
「おお、珍しいな。いいよ」和彦が答えた。
国道3号線を走る、2人を乗せた軽ワゴンは、3分後、進行方向左手にあるラーメン店へと、ウインカーを点滅させながら入って行った。
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発売日 1982年 アルバム「虜ーTORIKOー」に収録
- アーティスト: 甲斐バンド
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