商店街の右側を歩いていた尾崎は、理髪店の前を通り過ぎると、右に曲がった。細い路地。数メートル行くと、右手に、尾崎の祖母絹子が経営するたばこ屋がある。たばこを販売する店舗の部分はシャッターが下りている。その左横、左右に開く引き戸のすりガラスを、尾崎は、2回、軽くノックした。
尾崎が来ることが分かっていたかのように、絹子はすぐに出て来た。そして、クリーム色の少しああせたカーテンを開け、鍵をはずし、引き戸をひいた。
「なーんけ、今頃?」
絹子は、自分が発したその言葉ほど、本心から驚いている様子はなかった。“いつものことだ。” そう思いながら、尾崎を中に入れ、戸を閉め、鍵をかけ、カーテンでその戸を覆った。
尾崎は、高校生の今でも、こうやってたまに、祖母の所に行く。そしてかつて母千佳子が使っていた2階の部屋で寝る。木製のベッドには、いつも太陽の香りがするふかふかの布団が敷いてあった。尾崎はそこに、ジーンズに赤いシャツの姿のまま、寝っころがった。
夜中の3時過ぎ。枕元の窓から見える、ぼんやりと輝く月を眺めながら、尾崎は思った。《いいじゃねえか、とっとと結婚しちまえば。》
尾崎の母千佳子の愛人、宮園浩次は、地元でナンバーワンを誇る住宅建設会社の2代目社長だ。千佳子より2つ年下のその社長は、先代の父の社長時代には無かった、新しい建設技術や社員研修・福利厚生を導入し、会社の業績を一気に伸ばした。千佳子の経営するスナック“ブルーシャトウ”は、先代の社長も、会社の接待やプライベートでも利用していた。二人の結婚は、地元のそれをあまり良く思わない声もあったが、先代の社長が承認したことによって、治まった。
問題は、千佳子が健吾に、その結婚について、まだ何も言っていないことだった。
《毎晩のように彼を家に連れてきながら、肝心なことは何も言わない。おそらく、切り出せないのだ。何と言っていいのか、言い方が分からないのだ。》健吾は、そう千佳子のことを理解していた。《女手ひとつで自分を育ててきて、店を持ち、家を建てた。そんな思い出が、“壊れてしまうのではないか”。そう母は感じている。》と、健吾は思っていた。
しかし、頭の中で、そう整理出来ていても、苛立つ。《言えばいいじゃねえか、そんなの・・・。》おぼろげな月が、こっちを見ていた。
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