ちょうどその時、2階から鬼木和彦が下りて来た。鬼木は大学へは進学せず、地元が昨年,工場誘致したNECに就職する予定だ。そして、働きながらプロのボクサーを目指す。だから、夏休みに行われている課外授業には出席しない。朝の新聞配達を終え、2階にある自分の部屋でひと眠りしていたところ、先ほど、母親から良雄たちが店に来ていると知らされ、起こされた。
すべり込むようにして、鬼木が良雄の隣に座る。良雄は、お好み焼きが入った皿を抱え、隣の椅子に移った。青と白のストライプの短パンに、“adidas”と胸に書かれた白のTシャツを着た鬼木は、寝ぐせのついた髪をかきあげながら、
「何? 今日は。何かあったの?」と言った。
斜向かいの安藤聖子が言う。
「和代がね、東京に戻っちゃうの。この夏休み中に」
「へええ」いつもはクールな鬼木が、目を見開いてめずらしく驚いた表情を見せると、隣の良雄に、
「良雄、いいのかよ。当たって砕けろだ。最後、言っちゃえよ」と言った。
「なんだ、鬼木、知ってたの?」
鬼木の目の前の徳之島明子が、なぜかうれしそうに、微笑みながらそう言った。
「ああ、いつも言ってるもんな。和代ちゃあん、和代ちゃあん、て」
「言ってねーよ」良雄が反論する。
その頃、お好み焼き屋の外では、遅れて来た海江田和代が、店の玄関の引き戸を開けようとしていた。しかし和代は、開けるのを一旦やめ、何気なく、後ろを振り返った。
往復2車線の国道を挟んだ向こう側、理髪店の前あたりに、赤シャツを着て、ブルージーンズの両ポケットの手を突っ込んだ姿の尾崎健吾がいた。
車が行き交う向こうで、尾崎は少しはにかみながら、右手をポケットから出し、そのままその手を顔の右目のあたりまで上げ、警察官の敬礼のジェスチャーをした。
和代も笑いながら、同じようなポーズをとった。
そのあと、尾崎は商店街を南の方へ歩いて行った。和代はしばらくその姿を見送っていたが、やがて、引き戸を開け、お好み焼きの中へと入って行った。
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発売日 1988年 アルバム「MONKEY PATROL」に収録