海江田由美子の実家・津山家は、この街の東側、車で30分ほど行った先の山の麓にある。
両親とも健在で、農業で生計を立てている。
三姉妹の長女である由美子は、地元の商業高校を卒業すると、東京の百貨店に就職した。そこで、その年、客として来ていた現在の夫海江田純平と出会った。
由美子より4歳年上の純平は、当時、リゾートホテルのレストランでコックをしていた。翌年、由美子が二十歳の時、和代が生まれた。
由美子の父親は、何の前触れもなく起こったその事実に、激怒し、半ば勘当同然となった。
その後、海江田純平は料理の腕を磨き、独立し、自分の店を持った。
そのまだ小さかったフレンチレストランは、都内で好評判を得て、2店舗目、3店舗目と、純平は店を増やしていった。
東京都内及びその近郊で、計7店舗を所有するオーナーフレンチシェフとなっていた純平は、ある日、友人から群馬でのリゾート施設の共同開業計画を持ち込まれる。
しかし、その施設経営は、期待に反して上手く行かず、3年で行き詰まり破綻する。
純平は多額の負債を抱え、おまけにその友人は行方不明となり、今から2年前、資金繰りに困窮した純平は、ついに店も車も自宅マンションもすべて売り払った。
それでもまだ負債は残ったため、純平は都内の高級ホテルで住み込みで朝から晩まで、清掃など含め調理以外の仕事もなんでもやった。
その間、由美子と和代は、由美子の実家のあるこの鹿児島の田舎街に身を寄せた。
だが、由美子の父栄蔵は、一徹な性格ゆえ、いまだ由美子を許す素振りを見せず、由美子たちは、由美子の高校時代の同級生福田敏子から紹介してもらったこのアパートに住んでいるのだった。
由美子と和代、二人が晩御飯を食べ終えた頃、
6畳の部屋の隅にある、3段の白いカラーボックスの上にのせてあった電話が鳴った。
和代が受話器を取ると、受話器の向こうの声は、父純平だった。
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発売日 1980年 アルバム「We are」に収録