吾郎は、その質問には答えなかった。
実は、鬼木吾郎は、人を殴れない。
吾郎は、今から48年前この街に生まれ、この街で育った。高校ではボクシング部に所属していた。そして、その強さは、高校生No.1。全国大会で2度優勝するなど、いわば、地元のヒーロー的存在だった。
高校を卒業すると、東京のボクシング事務所にスカウトされ、上京した。
それから、数々のアマチュア戦を経て、3年後、プロになった。
プロとしての初戦前日。夕方、間借りをしているボクシング事務所の会長宅への帰路、小さな商店街の中、1人の若い女性がチンピラ風の4・5人の男性に絡まれている光景に出くわした。
男性らはいずれもアルコールが入っているようだった。
吾郎は、反射的にその男性らを殴った。一人一発ずつ、確実にしとめていった。
男性らは、それぞれ、顎の骨や肋骨を折るなど、何らかの負傷をした。
吾郎は、そのあと、傷害容疑で警察から取リ調べを受けた。幸い、正当防衛がとおり、罪に問われることはなかった。が、吾郎は、その日を境に、人を殴ることができなくなった。
殴った4・5人の男性は、18歳から20歳までの大工の見習いだった。
吾郎の翌日のプロデビュー戦、3ラウンドKO負け。一発のパンチもくりださず、ただただ、相手からのパンチを浴び続けた。
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発売日 1981年 アルバム「愛の世代の前に」に収録