右の眉毛の上に絆創膏を貼った西郷寛太。おととい、海江田和代に声をかけた際、転んで擦り傷を負った箇所だ。その西郷を筆頭に、いつも一緒にいる、馬面の男と小柄な男。そして今日は、その後ろに、西郷と同じくらい背の高い、ガッシリとした体格の男が4人。リーゼント頭や顎にひげをたくわえたものもいる。この4人は、西郷と同じ柔道部員だ。
西郷たちが、職員室のある棟の横を通り過ぎる時、尾崎は、廊下の窓越しに、彼らを見た。“なんだ、あいつら” 尾崎は心の中でそう思うと、突然、腹を押さえて、傍らに立っている母親の千佳子に言った。
「あたたたた、腹イテ! ちょちょ、トイレ」
千佳子は今日は、真珠のネックレスに、薄紫のフォーマルドレスを着ていた。元々美形なので、そこまで化粧をしなくてもいいのだが、バッチリとメイクをきめ、午前中美容室に行ってパーマもかけてきた。
「まあ、だらしないわねえ。早く行って来なさいよ、次だから」
尾崎は、ろくに返事もせずに、その場を離れた。
職員室のある棟の裏口を出ると、そこは体育館の前だ。
尾崎は、廊下を、棟の玄関がある方角とは反対側の方角に歩き、裏口のすぐ手前にある職員用のトイレのドアを開け、一旦中に入った。
そして、5秒数えて、静かにドアを開け、千佳子の方を確認した。
案の定、千佳子は、手鏡を見て、念入りに化粧の具合をチェックしている。
尾崎はまた静かにドアを閉め、裏口の方へと歩み、素早く外に出た。
しかし、西郷たちの方が、一足早かった。一行は、ぞろぞろと体育館の中に入って行く。
体育館の前にあるベンチに座っていた良雄と鬼木は、横目にその光景を見た。
「あれー、なんかヤバいんじゃない?」
鬼木がそうつぶやきながら、ベンチから立ち上がった。良雄も同じようにして立ち上がる。
西郷たちが、体育館の中に入ってくると、それまでの、ボールの弾む音や、生徒の掛け声などが、一瞬にして消えた。
静まり返った屋内に、西郷の声が響く。
「コニャニャチワ、かずよちゃん。ユニフォーム姿もかわいいニャン!」
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発売日 1985年 アルバム「しあわせ」に収録